世界観のまとめ

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人はなぜ『お金』を欲しがるのか。お金と自己実現について。

経済論や貨幣制度について書いてある本を読んでいて、以下のようなくだりがあった。

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貨幣制度は、その制度に対する信頼がなければ成立しない。
現在の貨幣は知っての通り、単なる「紙」「金属片」である。
日本の貨幣について言えば、
もちろん、それは「日本」という国家がつくっているから信用があるが、
もし日本という国家が消滅したら、その瞬間から「円」はただの紙になる。

このような視点に立つと、「カネこそ全て」と錯覚するほど
強固な貨幣制度も、一つの約束事でしかないことがわかる。

 

「お金は単なる紙、貨幣制度はただの約束事」

既に散々云われていることかもしれないが、
「お金は単なる紙、貨幣制度はただの約束事」全くもってその通りだ。
お金を「幸福の引換券」のごとく絶対視するのは、大きな錯覚だ。
お金は実際「ただの紙」でしかないし、
限定された場所・時間・共同体において有効なだけの「約束事」に過ぎない。
重力のような「この世界に初めから存在する普遍的な力」ではないのだ。

しかし、頭では重々わかっていても、現実にはやっぱりお金が欲しい。
そういう自分がいることを否定できない。
多くあるに越したことはない。くれるというなら喜んで貰いたい。

「いったい何故こんなにも欲しいのだろうか」。
少し突き詰めて考えてみた。

 

なぜこんなにもお金が欲しいのか?お金を得て何がしたい?

「私はなぜお金が欲しいのか」。お金は貨幣で、約束事でしかない。
その約束事を利用して何がしたいのか。

確かに、もし億単位の大金が手に入れば、
もっと自然に溢れた、環境のよい、別荘地のようなところで暮らしたいと思う。
日本の軽井沢や、田園風景の残る田舎町、イギリスの湖水地方なんかもいいだろう。
しかし、そんなところに住んでいては、今の仕事は続けられない。
そんな田舎な場所で、今と同等の収入が得られる就職先を見つけるのは難しいだろう。


ならば、残りの人生、仕事をしなくても生活していけるだけの大金があればいい。
サラリーマンの生涯年収1億~3億くらいらしい。
これが今すぐ手に入れば、残りの人生は仕事をしなくてもいいことになる。
(少なくとも、定年まで働いたのと同じお金を得ることになる)
しかし、例えば自然豊かな別荘地に住んで、仕事もしなくていいとなったら、
毎日何をして過ごすのだろう。


想像するに、少なくとも2年間くらいは充実して楽しく過ごせるだろう。
自然を散策して、植物でも育て、動物を飼い、毎日たくさん本を読む。

美味しいものを食べ、陶芸やガラス工芸なんかもやってみたい。

「職業につながらないから」といって学生時代に選べなかった学科の講義も、
大学の聴講生にでもなっていろいろ聴いてみたい。
充実した日々だ。

だが、きっとこれらのことをフルに楽しんでいたら、
当初想定したサラリーマンの生涯年収では足りないだろう。
寿命が来る前にお金を使い切ってしまう。
仕事をしなくてよくなると、時間が余って、
仕事をしているときよりも、娯楽にお金が必要になってしまうはずだ。

 

もっともっとお金が要る。でもどこかで飽きるのでは?

しかも、それらの楽しみを一通り謳歌し終わったあとは何をするのか。
次は世界でも旅して廻るのだろうか。


そこまでいくと、もはや「生涯年収を今手に入れたら」では叶わないレベルだろう。
海外への渡航費、渡航先での生活費は莫大な金額がかかる。
もっともっとお金が必要になる・・・・

 

たぶん、世界中くまなく廻ろうとするならば、
今度は寿命まで「時間が余る」心配はないだろう。
(もちろん、寿命までお金が尽きないのが大前提だ)
しかし、「それでどうするのか?」「それで幸せなのか?」
世界を廻るにしても、単なる観光旅行の連続では、きっと数年で飽きる。
最初こそ、エンパイアステートビルからの夜景の美しさや、
ナイアガラの滝の迫力、古代遺跡の佇まいに感動するのだろうが、
有名な観光地に訪れては「凄い凄い!」と連呼して廻るだけでは、
きっと、どこかで「慣れて」しまって、感動も薄れてくる。
そこに大した意味を自分自身でも感じられなくなるのではないか。


例え、一生何の経済的心配もなく世界を旅して廻れるだけの大金を得ても、
自分なりの観点、意義、テーマを見つけられなければ、大して面白くないだろう。
きっとどこかで飽きて、旅を止めてしまう。
そして、残りの人生で何をやればいいかがわからなくなってしまう気がする。
主体的にやりたいことがなくなると、人間は活力を失っていく
そうなったら、残りの人生は、受動的に享受できる快楽だけで
寿命がくるまでの暇をつぶす
ことになるだろう。
引きこもってオンラインゲームでも延々とやり続けるのだろうか。
そんなのは幸せとは呼べそうにない。

 

お金は欲しいけど、「絶対にしたい!」ことがあるわけでもない

さて、大金を得た場合を想定して、いろいろ妄想してみたが、
実際こうして考えてみると、少なくとも私自身は、
「いつか絶対自然の豊かな別荘地に家を買うんだ!」とか
「お金を貯めて大学に入り直し、〇〇学を学ぶのが夢だ!」とか
「世界を旅して廻るのが俺の本当の生き方だ!」とかは、
決して思っていないことに気づく。

別に私は、これらのことを「絶対したい!」というわけじゃないのだ。
あくまで「こうだったらいいなぁ」という程度の希望だ。
よくよく考えてみると、
「自分の人生の中でマスト」と言えるほどのものでは決してない。
(ある意味、それなりに現状の生活に満足しているのかもしれないが)

 

ふりだしに戻る。 ならなぜお金が欲しいのか?

そうして考えていくと、最初の疑問に戻ってしまう。

「 私はなぜお金が欲しいのか」。
「絶対譲れない」というほどの希望、夢、やりたいことがあるわけではないのに、
なぜ欲しいのか。

ただなんとなく貯金したいのか?

明確な理由があるわけでもないのに、漠然とした欲しい気持ちはいったいどこから来る?


これまで順を追って考えてきたのに、いきなり飛躍するようだが、
ここで、私なりのこの問題の答えを言ってしまいたいと思う。
私が思うに、
ある一定数の人(特に家庭を背負っていない独身の人達)が、
お金を欲しい理由は、共通している。
つまりそれは、
「とりあえず考える時間が欲しいから」ではないか。

 

「人生の中で譲れない希望」はあるか

世の中の大概の人は、お金が欲しいと言いながら、
「そのお金がなければできない、絶対に譲れないやりたいこと」自分の中に持っていない。
というか、まだ考えついていない。まだ見つけていない。
(だから「引き寄せの法則」が発動することもない)


実はそれは、非常に重大な問題だ。
なぜなら、「それ」を持っていなければ、
たとえお金があっても、本当に人生を有意義に楽しむことはできないからだ。
実は、人生を幸せに生きる上で、「それ」を見つけることは、
お金以上に重要で不可欠なポイントなのだ。
だからこそ、それをじっくりゆったり腰を落ち着けて
「考える時間が欲しい」「それを探す時間」が必要だ。

考える時間が欲しい。どうしたら時間を捻出できる?

でも、仕事や生活や人づきあいといった日常の雑多なことに追い立てられて
現代人にはなかなか「考える時間」が持てない。
なら、どうしたら「考える時間」が持てる?

とりあえず、生活の心配(食っていく心配、経済的な心配)がなくなれば、
まとまった時間を、考えること(いわゆる自分探し?)に充てることができる。

そうだ、毎朝、満員電車に乗って会社に行かなくてよくなれば、
本来、毎日は休みで、まるっきり自由なのだ。
自分自身の衣食住の世話以外、一日中好きに使うことができる。
ということは、仕事を辞めればいいのではないか。
つまり、
『仕事を辞めてもしばらく不安なく食っていけるだけのお金』があればいいのだ!

 

「絶対に譲れないやりたいこと」が見つかるまでの間、
仕事をしないでも食っていけるだけの生活費が欲しい
=『お金が欲しい』

つまり↑こういうことだ。
たぶん、無意識のレベルでは、誰しもがわかっている。
人生を楽しむためには、有意義に過ごすためには、
自分だけの「やりたいこと」「テーマ」が必要だ。
それは大それたものである必要はない。
けれど、「それ」は、本当に自分の心の底から湧き上がってくるもの
自分の魂が求めて止まない自分固有のものでなければいけない。


「それ」が見つからないうちは、人は生きることが漠然と不安なのだ。
何のための人生なのかわからないからだ。
ルールや目的がわからないまま、ゲームを楽しむことはできないのだ。
だから無意識が(魂が)駆り立てる。
「早く見つけてくれ」「早く気づいてくれ」

日常に埋没しているような忙しさの中に身を置いていると、
内なる声はさらに大きくなってくる。
「余計なことに気を取られていないで、早く探すための時間を取ってくれ」
現代社会に擦り減らされている私達の感性は、かろうじてこの声を聞き取る。
「少しゆっくりしたい」

じゃあどうしたらゆっくりできるだろう?
「衣食住の心配さえなければ、馬車馬のように働かなくても済むのに・・・」
 →「しばらくの間不安なくのんびり暮らせるだけの生活費が欲しい」
   ≒『お金が欲しい』

 

長々と書いたが、つまるところ、これが
「大多数の人がお金を欲しがるメカニズム」ではないかと私は思う。

よくよく心の中を探ってみると、
豪邸に住みたいからとか、海外旅行がしたいからとかが理由ではないのだ。


ちなみに上で云うところの「それ」を見つけること
「自己認識」あるいは「自己覚知」というやつなのだろう。

 

じゃあ現実的にはどうしろっていうの?

こんな偉そうなことを書いていると、
「そういうお前はどうするつもりなんだ?」とか
「お前もどうせお金ないんだろ?」とか言われそうだ。
ちなみに、私はあまりお金はもっていない。
ただ、一つ言えるのは、現在転職のために動いているということだ。
完全に「取らぬ狸の皮算用」なのだが、
もし受かることができれば、4月入社で、前年の夏には内定が出る。

つまり、転職の可否がわかってから、
実際に転職先に入社するまで半年以上の時間がある。
その間くらいは、退職金だとか、貯金だとか、失業保険だとかで
食いつなぐことはできそうだ。

サラリーマンになると、たった2週間程度の結婚休暇でも、
「こんなに長い休暇はもうこれっきり、退職するまで取れないだろうな・・」
なんて考えることになるが、
現代の日本の熾烈な競争社会の中でも、
こういう方法なら現実的かつ大きなリスクを伴わずに時間を作れるかもしれない。
(もちろん独身あるいは共働き子なし家庭でないときついかもしれないが)
まだ成功していないのでなんとも言えないが、可能性はある。
ひとまず、転職試験に絶対受かってやるぞ。