「六十にして耳順う」
子曰わく、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
ノウイングスクールのテキストを読んでいて
「裁かない耳をもった人」 という言い回しを見つけ、
ふと、孔子のこの言葉を思い出した。
今まで「六十にして耳順う」のがどんな状態なのか、
なかなかイメージできなかったのだが、
「人の言葉を聞いて、反射的に裁く(=ジャッジしてしまう)ことがなくなった」
という意味だったのではないだろうか。なんだか腑に落ちた。
しかし孔子ほどの人でも、六十になるまでジャッジの無い状態に
到達できなかったと思うと、大変なことだと思う。
まずは「三十にして立つ」に向かって自己認識を深めよう。